昭和の戦前と戦後、2人の大横綱を結びつける日付に「1月15日」がある。1939(昭和14)年のその日、空前の69連勝を続けていた双葉山が、ついに敗れた。殊勲の星をあげた新鋭の安芸(あき)ノ海が、郷里にあてて「オカアサン、カチマシタ」と電報を打った話はよく知られる▼それから46年後の奇(く)しくも同じ日に、北の湖関は引退した。翌日の小欄は「巨木が倒れたあとの寂しさがある」と一つの時代の終わりを惜しんでいる。横綱での670勝は今も歴代1位を誇る▼憎らしいほど強い、と言われた横綱だった。金星をあげ、故郷の父母に誇らしく「勝ちました」と伝えた若手もいたに違いない。心持ち反った背筋に、大きな腹。ふてぶてしい印象もあったが気遣いはこまやかだった▼横綱になってから、相撲を楽だと思ったことはなかったという。優勝して当たり前の存在だからと、最高位の重圧を語っていた。その綱を、歴代最多の63場所にわたって張った人の、思わぬ訃報(ふほう)に驚いた人は多かっただろう▼まだ62歳、日本相撲協会の理事長だった。7年前、角界が大麻事件で揺れたときは理事長を引責辞任し、3年前に復帰した。組織を率いる苦労と心労は寿命を縮めるほどだったのか。想像するほかはない▼土俵一筋に支えてきた人を悼んで、九州場所会場の福岡国際センターには半旗が掲げられた。きょう、1年を締めくくる千秋楽は横綱日馬富士や白鵬らの優勝争いに興趣がつのる。大きな歓声は天上まで届くことだろう。